山形県の南東部に位置する高畠町(たかはたまち)は、奥羽山脈の扇状地に広がる美しい里山です。米鶴酒造はこの地で300年以上にわたり酒造りを続けてきた老舗の酒蔵。繊細で香り高く、かつキレの良い銘酒を造りあげ、数々の品評会で高い評価を受けてきました。 米鶴酒造がこれまで歩んできた歴史、そして見据える未来とは。12代目の梅津陽一郎さんにお話を伺いました。 「まほろば」と謳われる地でお酒を造ること ─お酒の銘柄としても、地域の代名詞としても「まほろば」という言葉が使われています。これはどのような意味なのでしょうか。 梅津:もともと「まほろば」という言葉は、古事記などで見られる「まほら」という古語に由来しているそうです。これは「周囲が山々に囲まれた平地で、実り豊かな住みよい所」という意味で、山形県出身の歌人・結城哀草果(ゆうきあいそうか)も、この地をまほろばと詠みました。また明治初頭に日本の各地を旅したイギリス人探検家のイザベラ・バードもこの地を「アジアのアルカディア(桃源郷)」と称したほど、高畠町は自然と人の営みが共存する豊かな場所です。 まほろばという言葉を蔵のキャンペーンに使いはじめたのは父の代から。その後は町のキャンペーンにも採用され、大々的に謳われるようになっていきました。 ─遥か昔からここは豊かな里山だったのですね。酒造りにはどのようなお水を使っていますか? 梅津:高畠町は奥羽山脈の西側にあたりますので、日本海側の峰に降り積もった雪や雨水が地中に沈み、伏流水が豊富に流れ出ています。私たちはそれを井戸で汲み上げ、仕込み水として使用しています。 米作りを通じて誕生したオリジナル酒米・亀粋 ─米鶴酒造にはオリジナルの酒造好適米「亀粋」(きっすい)があるとお聞きしました。個人で酒米を持っているとはすごいことですよね。誕生秘話を教えてください。 梅津:亀粋は作ったものではなく、偶然できたものなんですよ。 といいますのも、昭和58年(1983年)に発足した高畠町酒米研究会の中心人物が、うちの蔵の社員でもあった志賀良弘さんでした。当時、自分たちで作る酒造好適米をどうするかとなり、山形県でも作りやすい美山錦と亀の尾の栽培をはじめたんですね。特に亀の尾は、もともと古い米で品種改良によりあまり作られなくなったお米でした。 栽培しているうちに、一風変わった稲を発見した志賀さん。これは彼の言葉ですけれども「通常の亀の尾より穂がちょっと長い、形質も違う稲」だったのだそうです。よく見たら粒も大きいので、それだけ選抜して育て、さらに工業技術センターの方々と協力しながら4年の歳月を経て品種登録に至りました。 ─栽培する中で偶然生まれた品種だったのですね! 大元となる亀の尾、そして新品種の亀粋にはどのような味の違いがありますか? 梅津:亀の尾は昔のお米なので、最近の米と比べると硬くパサパサしています。そのためガッチリと味を出すのではなく、すっきりと綺麗なお酒に向いています。一方亀粋になると粒が大きくなり心白も出るので、亀の尾と比べて柔らかみが出やすいです。 ─なるほど。亀の尾はスッキリ、亀粋は優しい味わいですか。 梅津:でも、一概にはそう言い切れないんですよ。僕らがお酒にしたときは亀の尾の方が硬いお米なので、より味を引き出そうとしている分、わりと飲みごたえのある味になっていると思います。一方、亀粋は現代風の淡麗辛口の味わいになっている感じがありますね。なので、お米の特性とは逆の仕上がりになっているんです。 ─なるほど、面白いですね。蔵として今後も米作りに注力していく予定ですか? 梅津:これからは「地域でお米を作ること」をもっとわかりやすくしていきたいと考えています。これまで40年、地元の農家さんたちと一緒に酒米栽培を推進しお酒を造ってきました。密にコミュニケーションを取ることを主体としてきましたが、今年から蔵でも酒米の栽培をすることにしたんです。 将来的には自分たちでも酒米栽培をできるようにするのが目標です。そうすれば高齢で農業を続けるのが難しい方の田んぼを借りたり買い上げたりして、引き続き原料の生産が可能になるので。そういう仕組みもこれから必要になっていくと思うんですよね。 経営の面から「和醸良酒」を支える ─少々話が変わりまして、読書がご趣味とお聞きしたのですが。 梅津:ええ。特に好きな本と言えば「ビジョナリーカンパニーシリーズ*」です。1から4までどれもおすすめなのですが、僕がとりわけ好きなのは2ですね。定期的に読み返しています。いまは最近新たに発売されたビジョナリーカンパニー0を読んでいる最中です。あと経営者として参考になったのが、D・カーネギーの「人を動かす」ですかね。 *ジェームス・C・コリンズによるビジネス書。優良企業にはどのような傾向があるのか、アメリカの主要企業に綿密な調査と分析を行い、特徴をまとめている。 ─なるほど。熱心に経営を研究されているのですね。蔵のHPで社員一人ひとりを丁寧に紹介していることから、人を大事にする経営をしてらっしゃるなと感じていました。 梅津:中小企業は一人ひとりが占めるウエートが相対的に大きくなりますから。社員を一人ひとり紹介することで、伸びる人は自然と伸びてくると思いますし、やっぱり仕事も楽しくなると思うんですよ。 ─米鶴酒造の使命として書かれている「発祥の地である山形県東置賜群高畠町二井宿を中心に、米鶴にかかわる人の幸せな生活に貢献する」というのも印象的でした。 梅津:当初から経営理念自体はありましたが、父が書いたものはものすごく長く読む気になれなかったり、覚えられなかったりするものでした。代を継いだ際に、わかりやすく作り替えたんです。酒屋らしい言葉では「和醸良酒」(わじょうりょうしゅ)とも言います。 ─和醸良酒、ですか。 梅津:そのままの意味です。良いお酒を造るためには、やっぱり人の和が欠かせません。個々人の能力はもちろんですけども、何よりチームワークが大事といった言葉ですね。最終的には酒造りに関わるすべての人が幸せになる、というのが企業としても一番大切なことですから。 吉日にふさわしいお酒を目指して ─米鶴酒造がこれから目指すお酒造りを教えてください。 梅津:個人的には万人に好かれる味わいにこだわっていきたいです。そしてお酒好きな人たちにたくさん飲んで頂けるようなお酒を目指しています。 品評会やコンテストで賞を取れるような味は、やはりとても良い味だと思っているのですが、ただそれだけだと飲み飽きしちゃうんですよね。甘みが強くて香りも高いお酒は一杯目だと美味しく感じるんですけど、飲み進めるのにはつらく感じちゃう。なので、コンテストで賞を取れる酒質でありながら、飲み続けられるお酒というのが理想ですね。 ─梅津さんがおすすめの銘柄もぜひ教えてください。 梅津:普段飲むお酒で中心になるのは「純米まほろば」ですかね。出羽の里を100%使用した精米歩合60%の純米酒です。香りはバナナのようだったり、デラウェアや巨峰のようだったりします。あとは専門店向けに限定流通させている「マルマス米鶴 限定吟醸」もおすすめです。この2種類を特に好んで飲んでいますね。 ─最後に、米鶴のお酒をどんなときに飲んでもらいたいですか? 梅津:普段飲みはもちろんですが、おめでたい席にもふさわしいお酒だと思います。米鶴という銘柄は、お辞儀の姿に例えられる豊かに実った稲穂の姿や、鶴の立ち姿にちなんで感謝を伝えるお酒でありたいと願って名付けられました。また米という漢字を八十八に例え、88羽の鶴を表す、おめでたい名でもあります。そのため贈答用としてもぜひおすすめしたいお酒ですね。 またこの地域は内陸部にあるので、産業としては昔から農作物関係と畜産関係が盛んでした。そのため魚介類よりはお肉との相性が良いのも特徴です。うちの超辛純米は地元の焼き肉屋でも採用されていますから。 構成・執筆:大城実結
蔵から10km圏内の米にこだわった伝統と革新の味。感謝をともに続ける岡村本家の酒造りとは
琵琶湖・東部に位置する岡村本家は、安政元年(1854年)にこの地で酒造りを始めた老舗の酒蔵です。地元の人に愛される地酒を造り続けながら、使用酒米や精米歩合にこだわった酒造りにも挑戦しています。 今回は6代目の岡村博之さんに、岡村本家の酒造りや歴史、これからについてお伺いしました。 10㎞圏内で生産された近江産米とともに歴史を紡ぐ ─酒蔵から10㎞圏内の酒米で酒造りをしていると聞いて驚きました。そもそもこの土地は酒造りをする上で、どのような地域なのでしょうか。 岡村:この地域は彦根藩の当時から、米の良いところ、水が豊富なところ、そして環境の良いところだったそうです。「善田(よいた)」と呼ばれるほどの米どころで、献上米を何度も出しているような地域でした。またここは県内でも北部にあたり、冬はしっかりと雪が降ります。さらに水も豊富で、当時は水にまつわる商売も盛んだったそうです。初代と2代目が月日をかけて酒造りに適した土地を探し、この地に辿り着いたのがはじまりと言われています。 ─そのように恵まれた土地柄であったとしても全量が近江産、さらには蔵から10㎞圏内の米を中心に使うというのは容易なことではないです。 岡村:元々は私たちもこの地域の米を使っていたんですが、時代が流れて、安い米を探さなあかんということで、父の代には県内産の酒米を一粒も使っていませんでした。決して県内産は悪い米じゃなかった。ただ銘柄として育ってなかったんです。 改めて地元の農家さんと喋って「しっかり作ってもらおう。100%県内産でやろう」ということで、20年前に切り替えたのがはじまりでした。近隣の農家さんを紹介していただいてスタートし、今は15団体さんにお願いしています。ほんまにやる気出してもらっていますし、うちもありがたいなと思っています。 ─20年前からその気持ちでやり続けているんですね。 岡村:昔はトラックもなかったので、地酒は地元で飲んでいました。だから地元の米と水を使って、地元の人間が仕込む。これは理にかなっている、と思いまして。一時期は山田錦がない時期もありましたが、また作りはじめたこともありますし、これで良かったなと。 伝統×革新。精米歩合20%〜100%のお酒に挑戦 ─岡村本家には、精米歩合*にこだわったお酒があります。岡村本家では、なんと100%(!)から20%までの酒造りに挑戦しているんですよね。 *精米とは酒造りに欠かせない工程のひとつで、米を削り残った割合を歩合として数字で示したもの。 岡村:そうですね。この商品が生まれたきっかけとして、現杜氏の園田睦雄くん(以下、園田くん)の存在があります。普通酒だけでも商売は成り立つのですが、お客さんからこんなお酒を造ってほしいと言われて「わかりました、やってみます」と。精米歩合80%でも難しいのに、90〜100%ならもっと難しいですよ。でも園田くんも言ったことは本当にやりきる。一年目ですごい味を出してくるんですよ。うまいんです。でも、量が無かったので2年目、3年目と挑戦して、完全に商品にしてしまったんです。強い想いのもと園田くんが努力して、研究して作ってくれています。 ─低精白から高精白のお酒がこれだけ並ぶとインパクトがありますね。 岡村:昔は「高精白や低精白はあかん」っていう人が多かったんです。20年前以上に精米歩合80%のお酒を出したのですが、評論家の方に「みんな良い酒を造ろうとやっているのに、何を時代に逆行してるんや」と怒られましたね。でも日本酒がこれだけ低迷したのは、どの蔵も同じ方向に行きすぎなんちゃうかなって思うんです。 ─どういうことですか? 岡村:20年前も、面白い酒を造っている蔵はいっぱいあったのに、これを止めようという指導が結構あったんですよね。それが視野を縮めたんちゃうかな。昭和48年が消費量の頂点で、そこからどんどん減少して、今もまだ落ち続けている。てことは、ほんまにこれまでのやり方が良かったか、という話になりますよね。今はパック酒などの安い酒が主流になっていますけど、もう少しやり方はあったんちゃうかな。 ─そうですね。精米歩合が違うお酒というのは、そもそも日本酒の作り方を知らない人が、精米歩合というものを知るきっかけにつながりますよね。 岡村:それもあると思います。私たちの酒は、60%から上は酒米を使っていて、70%から低精白の方はすべて飯米を使っているんですよね。元々同じ仕込みでやって、同じ酵母でやったんですよ。その中で50%は50%らしく、60%は60%らしく、味わいに差を付けて強調させる味にしようよ、と米だけ種類を変えています。 あと同じ商品で生と火入れを作っていて、ともに3年寝かした商品も作っている最中です。全種類は揃っていませんが、ひとつの精米歩合でも4種類の味があるということになります。今後は低温熟成と常温熟成で味が変わるのか、というのに挑戦してみたいですね。 岡村本家では伝統的な手法の「木艚袋搾り」を続けている。手間はかかるが、お酒に優しく良い品質に仕上がるのだそう。 目指すは「元気づける酒」。能登流を受け継ぎ、広く愛される味を目指して ─銘柄の「金亀」は、そもそも彦根城の別名「金亀城(こんきじょう)」から来ていると聞きました。 岡村:おっしゃる通りです。ただ、お名前は呼び捨てにできないということで金亀(きんかめ)という名前にしました。 ─彦根藩主の井伊直弼から酒造りを命じられ創業したのが、岡村本家のはじまりだったそうですね。この豊郷町だからできる酒造りとは、一体何なのでしょうか。 岡村:米や水、環境ももちろん重要ですが、やっぱり考え方も酒造りに大きく影響しています。滋賀県って結構ものづくりが上手なんですよ。例えば京野菜はもともと滋賀県で作られていましたし、宇治茶のスタートも甲賀茶でした。ものづくりを大切にする考えが根付いているのがこの地域の特徴です。 ─岡村本家のウェブサイトには、至る所に「ありがとう」という言葉が綴られています。これはどこから生まれた気持ちなのでしょうか。 岡村:酒造りにはかつて、米を酒に変えて神様にお供えするなど、いろんな意味合いがありました。しかし、今の食生活になったときに本当に必要なものなんかな、と悩むことがあります。例えば、外食での1品500円の料理と1杯500円のお酒。家族で食事をするなら料理を頼めば子どもも一緒に食べられますよね。 もちろん、お客さんからは「お酒が活力になった」や「前向きになれた」など嬉しい言葉を頂いています。一方、アルコールにまつわるこの30年を振り返ったときに、良い面も悪い面もあると感じています。それを踏まえて、この仕事をやらせていただくという意味を改めて考え、改めて「すべてに感謝やな」と思ったんです。 ─これから岡村本家が目指す酒造りについて教えてください。 岡村:飲んだ人を元気づけるようなお酒を造っていきたいですね。そして「これが岡村や」という味を大切にしていきたい。今は杜氏の園田くんが新しい形を作ってくれていますけど、私たちのはじまりは能登流でした。 今でも私たちの酒には先代のやってきた味が残っているんですね。時代の移り変わりの中で変わっていくと思いますが、お客さんも「この味が面白い」と言ってくださるので、岡村らしい味わいの酒をこれからも残していきたいです。 構成・執筆:大城実結
杜氏自ら酒米を栽培。米ととことん向き合う酒造り。
今回は新潟県上越市にある妙高酒造へ訪れました。 「なぜ、食卓のお米は飽きずに食べ続けられているのか」香りも味も地味。だけど、優しくふくよかなお米の「旨味」があるからこそ、ずっと愛されているのではないでしょうか。 香りも味も穏やかな中に、そこはかとなく現れる「ほっとする旨味」。 そのこだわりの造りについて杜氏の平田さんにお話しを伺いました。 ⚫︎昔から愛されてきた淡麗旨口の味わい ー「妙高山 八十八」飲んで不思議だったのが、辛口のキレも甘みも感じました。 平田:それは「お米の旨味」に注目した酒造りをしているからです。 「なぜ飯米は飽きずに毎日食べ続けられるのか」って、香りや味が質素でありながらそこはかとない「旨み」を感じられるからだと思うんです。日本酒はお米のエキスを飲む商品ですから、素朴でありながら「米の旨み」を感じる味わいの方が、飲み飽きせず、飲み続けられるのではないでしょうか。そこでお米からしっかり作ってそれを最大に生かした造りをしようと五百万石を作っています。 ー杜氏自ら酒米を育てられているんですね。五百万石ってどんなお米ですか。 平田:新潟県を代表する酒米です。スッキリとしていながら旨みの深みが出やすい品種なので、これを100%使って特別純米酒や純米吟醸を造っています。平成元年以降から平日は蔵のこと、土日で稲作りをしてきました。私の作ったお米はアミノ酸量が多く含まれているようです。淡麗の酒を造るには「アミノ酸量は少なめに」と言われるようになって久しいですが… この傾向については、戦後のお酒、その後の「淡麗辛口ブーム」が影響しています。 昔は灘や伏見のような「濃厚な味わい」の日本酒がうまい酒でした。戦後に流通した三倍醸造酒は、コストを抑えつつ需要に対応できるよう、アルコールに糖類や酸類を加えて造られていました。時代が進み食文化も変化するうちに消費者の好みも「淡麗好み」に変化。「新潟の酒は味が薄く、砂糖水と揶揄されてきたが、これからの時代はこの淡麗さが好まれる」と、故嶋悌司(しまていじ)さんをはじめ醸造試験場の方々がけん引してアミノ酸の少ない「新潟の淡麗辛口」を築き、全国でも淡麗辛口ブームが起きました。 平田:実際、アミノ酸の少ないお酒には長時間の保存がきくというメリットがあります。ですが米本来の旨みが弱く、「醸造酒」としての価値が薄れてしまったように感じています。 海外の方、飲みなれていない方には「ワインのような日本酒」、そして鑑評会では「香り高い吟醸酒」が評価されていますね。一方、昔から日本酒を愛飲されてきた玄人の方々には、飲み飽きしない「旨味のある酒」の方が好まれています。 このギャップに葛藤はありましたが、お米の質、麹造り、酵母の調整にもこだわった「味重視」の酒造りを貫いています。 ⚫︎お酒の要は「麹造り」 ーお酒造りで特に要になっているのはどの工程ですか。 平田:「麹」ですね。この土台がないとお米の旨味は出てきません。麹用の蒸米の水分量、麹菌の繁殖、菌種の伸び。このバランスでいかに良い「麹」を造れるかでほぼお酒の出来栄えが決まります。麹の持つ酵素力「力価」に注目して、様々な状態での値を調べてもらい15種類ほど麹室にいれているのですが、蒸米の水分量をデジタル表示の秤で計測して、理想の数値になったところで麹菌を散布しています。(おそらくこの手法をしている蔵あまりないと思います。)「タンパク分解力を抑えるために速やかに40℃まで発酵温度を上げる」ことが全国的に推奨されているので。 ●酵母をブレンドして雑味を抑える 平田:協会酵母をそのまま使っている蔵の方が多いと思います。ですが、酵母の性質上、それぞれ良いところも欠点もあるんです。なのでこの蔵では毎年造りの初期に醸造協会や新潟県醸造試験場から仕入れて、試験管で培養したものを、自社でブレンドしています(自社培養酵母)。培養した酵母のうち、相互補完できる酵母を2種類ブレンドして、酒母の仕込みに使用します。 ー協会酵母をブレンドするとどんなメリットがあるのでしょうか。 平田:こうすることで発酵の反応が早くなり、他の菌が入るスキを与えずに、澄んだ味わいに仕上げることができるんです。相互補完できる酵母を使うことで、発酵のスタートダッシュを早めることができ、雑菌が繁殖しにくい環境を作ることができるというわけです。 酵母の組み合わせはその年の気候を加味して調整するのですが、平成初期ごろに鑑定酒合宿で習得した技術を後輩に継承しています。 ⚫︎「低温貯蔵」でベストな味わいをしっかりキープ 平田:これが実は一番重要なのですが、「過熟を抑える」ことが欠かせません。品質が変化しないように「低温貯蔵」でしっかり状態を保持すること。これがみそですね。日本酒の中にはアミノ酸と糖(グルコース)が存在しているので、酵素の活性を止めないとどんどん味が変化してしまいます。クセが出ないように搾ったら早めに瓶詰めをして、火入れ(殺菌処理)をして、大きな冷蔵庫で保管しています。鑑評会用のお酒もすぐ劣化してしまうので、大吟醸、純米大吟醸は搾ってから3、4日で火入れをして劣化を防止しています。 醸造設備は蔵によって千差万別ですが、与えられた環境の中でいかに酒造りをまとめて、品質の高い酒を提供するかという使命を他の杜氏さんも感じています。 ーどのお酒も愛着あるかと思いますが、特に好きなお酒はございますか。 平田:やっぱりお米から手掛けている「杜氏栽培米純米大吟醸」あと、「越後辛口おやじ」ですね。「越後辛口おやじ」は本醸造なのですが、舌にべたつかず、さらっとした辛口。でも旨味があるのでダラダラ飲める。地元ではロングセラーの日常酒です。 「お米の旨み」は、学校の給食や食卓で味わってきた原風景の味。 ワインのように香り高いもの、甘く酸味のあるもの、様々な入り口ができた今日の日本酒。 里帰りをする感覚で「お米の旨み」を試してみませんか。
「もっと気楽に日本酒を」広島らしさを追求する若き9代目の酒造り
瀬戸内海に面した美味しい牡蠣がとれる町。広島県東広島市安芸津町(あきつちょう)にある柄酒造を訪れました。安芸津町の軟水の特性を活かした伝統技術『軟水醸造法』を代々受け継ぎ、約170年。さらなる挑戦をしています。 西日本豪雨の際廃業の危機に見舞われましたが、地域の方々の協力も経て復活。 日本酒における「広島らしさ」とはなにか、を探求する9代目蔵元の柄総一郎さんにお話し伺いました。 ジャケ買いで出合う日本酒もいいんじゃない? ―思わず「何だろうこれ」と手に取ってしまいそうなポップなラベルですね。 柄:普段日本酒を飲んでこなかった人たちにとっての「日本酒のハードル」を下げていただきたくて、9代目於多福は「ジャケ買い」したくなるラベルにしました。 そんな柄さんも実は「ジャケ買い」で日本酒のイメージが変わったおひとり。 柄:きっかけは新政のNo.6でした。飲み屋さんで見かけて「おしゃれだな」と手に取り、味にびっくりし、今まで学生の飲み放題で飲んできた日本酒のイメージがひっくり返りました。「ちゃんとした日本酒って美味しいんだ」と。 「いっそ、柄酒造でも造ってくれないかな。」と思うようになり、「蔵を継ぐこと」について頭の片隅でぼんやりと描くようになり、いつの間にか「柄酒造を継ごう」という気持ちに変わっていました。 このポップなラベルが生まれた転機は「2018年西日本豪雨」 ―もともとのクラシックな「於多福」とは雰囲気が大きく違いますね。 柄:これには2018年の西日本豪雨の影響が大きくあります。 この災害で柄酒造も被災し「ここで終わりかな」と行く末を見守っていた頃、「テレビ見たよ、頑張るんだって?手伝いに来たわ!」と地域の方々やボランティアの方々が支えてくださりました。おかげ様で2019年に復活し、柄酒造の9代目として。復活した蔵として初代になりました。 柄:帰ってきて初めて醸す「於多福」。想い入れがあって、自分でどんな味かって判断できませんでした。酒販店の皆様に飲んでいただき「9代目の「ごあいさつ」として売りませんか」とおっしゃっていただき、9代目の「ごあいさつ」として、従来のクラシカルなラベルに近くスタイリッシュな「於多福」ラベルをつけていました。 醸して2年目の際に今までの「於多福」とは違う9代目からのブランドとして「9号酵母」を使った「9代目於多福」が誕生。かつて「ジャケ買い」で新政No.6を選んだように、日本酒を飲んだことがない人、今まで他のお酒を飲んできた方々にも「あのラベル!」と言ってもらえるような日本酒にしたいですね。 「広島らしさ」とは ―ホームページで拝見した「広島らしさ」。柄酒造さんではどのような意味合いで使われていますか。 柄:「広島らしさ」って難しいですよね。広島県の酒造40蔵ほどありますが、得意な味が各蔵で異なるので「広島の味」を統一できないんですよね…。総じて言えば「小味が効いている」ということでしょうか。 柄酒造内でも、ブランドごとに味わいが異なります。従来の「於多福」は造って半年以上タンクで熟成させた、華やかなコクと米のふくよかさを感じる複雑でクラシカルな味わい。「9代目於多福」ではフレッシュで瑞々しい、瀬戸内の柑橘類をイメージさせる味わいです。 「広島らしさ」もとい「安芸津らしさ」とは何か、自問自答しながら酒造りをしていますが、飲んで瀬戸内海を思い浮かべてもらえるといいなと思っています。 ―安芸津の牡蠣と「9代目於多福」の組み合わせ、美味しそうですね。 柄:甘くなく、どちらかというと辛口よりの味わいです。辛口のキレがあることで、牡蠣のフレッシュさやミルキーさを感じつつ、濃厚さをさっぱりと洗い流してくれる。そんな組み合わせが楽しめると思います。香りも穏やかに少し香りが出てくる感じなので、牡蠣の持つ磯の香りも邪魔せず余韻を味わえるかと思います。 あと、これは僕のこだわりなんですが、東京や関東圏に出すときは特に、山田錦ではなく広島の酒米「八反錦」で造りたいです。 今後の「9代目於多福」は広島県を代表する酒米「八反錦」、9代目なので「9号酵母」の組み合わせを軸に深み、軽やかさなど、味の広がりを試していきたいですね。季節の限定酒についても「この季節はどんな味にしようか」、季節の移ろいを意識した酒造りにも挑戦しています。 安芸津町の醸造家・三浦仙三郎が考案した『軟水醸造法』。発酵が進みにくい軟水の特性を活かし、発酵に時間をかけ、香り高くふくよかな味わいを生む技術を使って、安芸津の水、広島の酒米、9号酵母を生かしてどんなお酒が生まれるのか。今後も楽しみです。
「次世代につなぐ地域の酒蔵」が造る「全量新潟市産米にこだわるお酒」
明治32年創業。新潟県新潟市西蒲区にある「笹祝酒造」へ訪問しました。 西蒲区の特徴は醸造蔵の多さ。5.6万人ほどの人口に対して、酒蔵、ワイナリーなど含めた10数件の醸造所が点在しています。 この蔵のテーマはズバリ「次世代につなぐ」。全量新潟市産米にこだわる酒造りにおいても、日本酒好きが協働し開発する「チャレンジブリュー」で新たな定番酒が生まれることも。 ファミリーで楽しめる酒蔵として「麹の教室」を3月にオープン。次世代に醸造文化をつなげられるよう日々奮闘をしています。
近江の自然と共生し、子を愛しむように古酒を育てる
滋賀県愛荘町(あいしょうちょう)にある藤居本家を訪れました。総欅造りの貯蔵庫で日本酒を熟成させている酒蔵です。「古酒」そして地元「近江」への想いを藤居社長に伺いました。
世代の違う杜氏と蔵人が造る「人に寄り添うほがらかなお酒」
愛知県愛西市鷹場町にある「水谷酒造」を訪れ、社長で杜氏の水谷政夫さんと、蔵人の後藤実和さんにお話を伺いました。水谷酒造が目指すのは「ほがらかなお酒」。親子ほど年の離れたお二人ですが、志を同じくし、日々真摯に酒造りに向き合っています。
室町・江戸時代の日本酒を再現。歴史の島・隠岐から日本文化を発信する「隠岐酒造」
島根半島の北方、40〜80キロの日本海に浮かぶ隠岐。銘酒「隠岐誉」を醸す隠岐諸島唯一の酒蔵「隠岐酒造」を訪れました。
独特の酒文化を持つ土佐で愛される酒とは。地元愛溢れる若き六代目の挑戦
高知県香南市赤岡町にある「高木酒造」は、独特の酒文化がある土佐で、土佐の人に喜ばれる日本酒を醸し続けています。今回は、六代目杜氏・高木一歩さんにお話を伺いました。
「食卓を明るくする日本酒を造りたい」平成生まれの夫婦が醸す自分たちの好きを詰め込んだお酒とは
島根県大田市にある一宮酒造さんにインタビューしました。浅野社長と、杜氏の理可(りか)さん・副杜氏の怜稀(さとき)さん夫婦に、夫婦での酒造りやこれからの挑戦についてお話をうかがいました。
青天の霹靂で就任した女性杜氏が、酒造りに向き合った奮闘の日々に迫る
福島県のほぼ中央に位置する「笹の川酒造」。青天の霹靂で杜氏になった常務・敏子さんが、右も左もわからない状態から酒造りに奮闘した日々に迫ります。
伝統を継承しつつ新たな発想を柔軟に取り入れる「八木酒造部」の高品質な酒造りへのこだわりとは
愛媛県今治市の「株式会社八木酒造部」は、創業以来品質一筋の酒造りに情熱を傾け、高品質の日本酒を次々に生み出しています。今回は、八木酒造部の八木社長にお話を伺いました。
「明魂」を知っていますか?広島発の技術開発が日本の酒造りを飛躍させる可能性に迫る
この記事では、広島県立総合技術研究所 食品工業技術センターでどのようなチャレンジが行われているのかや、広島の日本酒を世界に広めるための研究目的で造られている試験酒「明魂」について詳しくご紹介します。
「日本の素敵を世界へ」。麻原社長の実行力が可能にする、時代に沿った日本酒造りとは
カップ酒「SAKE JOURNEY(サケジャーニー)や「素敵」で話題の「麻原酒造」の麻原社長に、酒造りへの思いをインタビューしました。