蔵から10km圏内の米にこだわった伝統と革新の味。感謝をともに続ける岡村本家の酒造りとは

琵琶湖・東部に位置する岡村本家は、安政元年(1854年)にこの地で酒造りを始めた老舗の酒蔵です。地元の人に愛される地酒を造り続けながら、使用酒米や精米歩合にこだわった酒造りにも挑戦しています。
今回は6代目の岡村博之さんに、岡村本家の酒造りや歴史、これからについてお伺いしました。

10㎞圏内で生産された近江産米とともに歴史を紡ぐ

─酒蔵から10㎞圏内の酒米で酒造りをしていると聞いて驚きました。そもそもこの土地は酒造りをする上で、どのような地域なのでしょうか。

岡村:この地域は彦根藩の当時から、米の良いところ、水が豊富なところ、そして環境の良いところだったそうです。「善田(よいた)」と呼ばれるほどの米どころで、献上米を何度も出しているような地域でした。またここは県内でも北部にあたり、冬はしっかりと雪が降ります。さらに水も豊富で、当時は水にまつわる商売も盛んだったそうです。初代と2代目が月日をかけて酒造りに適した土地を探し、この地に辿り着いたのがはじまりと言われています。

─そのように恵まれた土地柄であったとしても全量が近江産、さらには蔵から10㎞圏内の米を中心に使うというのは容易なことではないです。

岡村:元々は私たちもこの地域の米を使っていたんですが、時代が流れて、安い米を探さなあかんということで、父の代には県内産の酒米を一粒も使っていませんでした。決して県内産は悪い米じゃなかった。ただ銘柄として育ってなかったんです。
改めて地元の農家さんと喋って「しっかり作ってもらおう。100%県内産でやろう」ということで、20年前に切り替えたのがはじまりでした。近隣の農家さんを紹介していただいてスタートし、今は15団体さんにお願いしています。ほんまにやる気出してもらっていますし、うちもありがたいなと思っています。

─20年前からその気持ちでやり続けているんですね。

岡村:昔はトラックもなかったので、地酒は地元で飲んでいました。だから地元の米と水を使って、地元の人間が仕込む。これは理にかなっている、と思いまして。一時期は山田錦がない時期もありましたが、また作りはじめたこともありますし、これで良かったなと。

伝統×革新。精米歩合20%〜100%のお酒に挑戦

─岡村本家には、精米歩合*にこだわったお酒があります。岡村本家では、なんと100%(!)から20%までの酒造りに挑戦しているんですよね。

*精米とは酒造りに欠かせない工程のひとつで、米を削り残った割合を歩合として数字で示したもの。

岡村:そうですね。この商品が生まれたきっかけとして、現杜氏の園田睦雄くん(以下、園田くん)の存在があります。普通酒だけでも商売は成り立つのですが、お客さんからこんなお酒を造ってほしいと言われて「わかりました、やってみます」と。
精米歩合80%でも難しいのに、90〜100%ならもっと難しいですよ。でも園田くんも言ったことは本当にやりきる。一年目ですごい味を出してくるんですよ。うまいんです。でも、量が無かったので2年目、3年目と挑戦して、完全に商品にしてしまったんです。強い想いのもと園田くんが努力して、研究して作ってくれています。

─低精白から高精白のお酒がこれだけ並ぶとインパクトがありますね。

岡村:昔は「高精白や低精白はあかん」っていう人が多かったんです。20年前以上に精米歩合80%のお酒を出したのですが、評論家の方に「みんな良い酒を造ろうとやっているのに、何を時代に逆行してるんや」と怒られましたね。でも日本酒がこれだけ低迷したのは、どの蔵も同じ方向に行きすぎなんちゃうかなって思うんです。

─どういうことですか?

岡村:20年前も、面白い酒を造っている蔵はいっぱいあったのに、これを止めようという指導が結構あったんですよね。それが視野を縮めたんちゃうかな。昭和48年が消費量の頂点で、そこからどんどん減少して、今もまだ落ち続けている。てことは、ほんまにこれまでのやり方が良かったか、という話になりますよね。今はパック酒などの安い酒が主流になっていますけど、もう少しやり方はあったんちゃうかな。

─そうですね。精米歩合が違うお酒というのは、そもそも日本酒の作り方を知らない人が、精米歩合というものを知るきっかけにつながりますよね。

岡村:それもあると思います。私たちの酒は、60%から上は酒米を使っていて、70%から低精白の方はすべて飯米を使っているんですよね。元々同じ仕込みでやって、同じ酵母でやったんですよ。その中で50%は50%らしく、60%は60%らしく、味わいに差を付けて強調させる味にしようよ、と米だけ種類を変えています。
あと同じ商品で生と火入れを作っていて、ともに3年寝かした商品も作っている最中です。全種類は揃っていませんが、ひとつの精米歩合でも4種類の味があるということになります。今後は低温熟成と常温熟成で味が変わるのか、というのに挑戦してみたいですね。

岡村本家では伝統的な手法の「木艚袋搾り」を続けている。手間はかかるが、お酒に優しく良い品質に仕上がるのだそう。

目指すは「元気づける酒」。能登流を受け継ぎ、広く愛される味を目指して

─銘柄の「金亀」は、そもそも彦根城の別名「金亀城(こんきじょう)」から来ていると聞きました。

岡村:おっしゃる通りです。ただ、お名前は呼び捨てにできないということで金亀(きんかめ)という名前にしました。

─彦根藩主の井伊直弼から酒造りを命じられ創業したのが、岡村本家のはじまりだったそうですね。この豊郷町だからできる酒造りとは、一体何なのでしょうか。

岡村:米や水、環境ももちろん重要ですが、やっぱり考え方も酒造りに大きく影響しています。滋賀県って結構ものづくりが上手なんですよ。例えば京野菜はもともと滋賀県で作られていましたし、宇治茶のスタートも甲賀茶でした。ものづくりを大切にする考えが根付いているのがこの地域の特徴です。

─岡村本家のウェブサイトには、至る所に「ありがとう」という言葉が綴られています。これはどこから生まれた気持ちなのでしょうか。 岡村:酒造りにはかつて、米を酒に変えて神様にお供えするなど、いろんな意味合いがありました。しかし、今の食生活になったときに本当に必要なものなんかな、と悩むことがあります。例えば、外食での1品500円の料理と1杯500円のお酒。家族で食事をするなら料理を頼めば子どもも一緒に食べられますよね。
もちろん、お客さんからは「お酒が活力になった」や「前向きになれた」など嬉しい言葉を頂いています。一方、アルコールにまつわるこの30年を振り返ったときに、良い面も悪い面もあると感じています。それを踏まえて、この仕事をやらせていただくという意味を改めて考え、改めて「すべてに感謝やな」と思ったんです。

─これから岡村本家が目指す酒造りについて教えてください。

岡村:飲んだ人を元気づけるようなお酒を造っていきたいですね。そして「これが岡村や」という味を大切にしていきたい。今は杜氏の園田くんが新しい形を作ってくれていますけど、私たちのはじまりは能登流でした。
今でも私たちの酒には先代のやってきた味が残っているんですね。時代の移り変わりの中で変わっていくと思いますが、お客さんも「この味が面白い」と言ってくださるので、岡村らしい味わいの酒をこれからも残していきたいです。

構成・執筆:大城実結

ぽち酒を飲む